東京の住み方過ごし方

ライフハック関連の話題に関してのブログ。管理人たぬきつねが日々集めた情報実践していることをもとに"捗る"ものを共有。

コンテンツに乗っかるな。

 

コンテンツであふれた世の中で

日々生きていて、広告やネットで多くのコンテンツを見る。Youtube, 芸能人, お得な情報, はたまた漫画やアニメなんか今の若者に大人気だ。こういうものに乗っかって自分の意見をいう人がいたり、自己表現をしたりしようとする人がいる。

 

最近でいうとYoutuberなんかそうだろう。インターネットで顔を出すことはためらわれたいたのに、どんどん顔出しをして自分の名前を売っていく、広告収入を稼いでいく。そういう生き方はもちろんあっていいと思うし、影で叩いている人間を見かけることのほうがいい気はしない。

 

今回述べたいことは、こういうコンテンツが増えて、「何か他と違ったもの」が量産されていう中で単純にそれに乗っかって消費することに対しての警句だ。手を伸ばせば自己投影できる時代だからこそ考えるべきことがあるのだと思っている。

 

クリエイターにならないのか?

コンテンツがあふれている中で感じることは、「コンテンツを提供する側」のきらびやかさだ。その人は他の誰かができなかった何か違うものを提供している。これは普通に生きて働いている中ではなかなか得られないものだ。だからこそ「コンテンツをリリースすること」をしていくべきなのだと思う。安易に他人のコンテンツを消費して自分を表現するのではなくて、自分で下手くそでもいいから何か新しいもの、他人がちょっとやっていないことを始めていく。そのなかで自分を表現していくのが大事だと思う。

 

こういうことを強く感じ始めたのは自分がなによりも今時間がある状況のなかで、ともすれば焦っているせいもあるのかもしれない。大きな会社とか、権力を持つ機関で働くチャンスが腐るほどある環境にいてそれを行使せず、かつかなり自由の利く労働環境で仕事を行っているので「今日自分が何をしたのか」というのを自分に常に問い続けている。これはなかなかに厳しい。人間が1日で何かできることは限られている。満足して寝れる日は少ない。でもその日の積み重ねのなかで問いかけるべきだろう

「自分はクリエイターたり得たのか?コンテンツに乗っかっているだけの人生じゃないか?」

と。

 

イメージすること。

イメージは先行しない。少なくとも僕はそういうタイプだ。なんとなくあったほうががいいと思うものを想像することはあっても、強力にイメージすることができない。イメージ力に関して特に印象を受けた映画がある。「風立ちぬ」だ。

 

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ジブリ作品のなかで最も好きな映画なのだが、この映画の主人公である次郎が強烈に自分のイメージを進化させていく描写がある。最初は羽根と胴体しかなかった彼の想像上の飛行機が、時間とともに徐々に鮮明なイメージになっていく。

 

そう。最初はイメージは粗い物なのだ。そして、それは「失敗する」ことがある。「風立ちぬ」のなかで次郎は飛行実験に失敗し余暇をとりに軽井沢に行くシーンがある。強く打ちのめされ再起できないシーンだ。ここで産みの苦しみを彼は感じることになる。自分がやってきたことが正しいのかどうかという本質的な問いをつ着付けられたのだと思う。

 

素晴らしいのはここで支えてくれる人と出会うことだ。これ以上は映画を見てぜひ知って欲しい内容なので省略するが、自分自身の話として

「今までにないものを粗くでもイメージすること。失敗することは恐ろしいけども、それを超えて挑戦すること」の価値を自分に突きつけていきたい。

 

コンテンツを凌駕する

今あふれているコンテンツは少し生き急いでいるものが多いように感じる。だからそれをバカにしたり批判した評価を下す人も多い。それは大いに結構である。なぜなら、生き急いでいると感じるコンテンツは自分の今の力量の中でできることを一生懸命形にしているわけで、挑戦途中な訳だ。もちろん未完成のもの、確固とした哲学がないものも多い。それによってうみだされたものは当然マイナスの評価を受けることもある。安易に肯定していいような「頑張ってるからいいじゃん」みたいな用語は何の役にも立たない。むしろ

「中途半端で挑戦途中だから正しく批判してもらっている訳で、それを向上させていくこと」

が大事なのである。イメージを粗いままにしてはいけない。イメージしたものの終着点を試行錯誤の末に達成しなければいけない。それはもちろん簡単ではないし途上で「このやり方でいいのか」と怯えることもある。しかしその恐怖はあくまでも「今までの投資が水の泡になること」にたいしてであり「イメージを実現することが不可能であること」に対してではない。

 

であれば、やはり「形にすること」にこだわることだ。

どこまでも「やり方」ではなく「何を生んだが」を対象とすることが大事。

コンテンツが多い世界で、コンテンツに溺れるのではない、自分がコンテンツを生み出し始めると周りのアイデアに刺激されることがある。

乗っかっているだけではコンテンツから得られる最大限の恩恵を受けたことにはならない。自分が好きなもの、追いたいものの背景をつかんで、その産みの苦しみを知って、その上で自分のクリエイティビティの向上に役立てていきたい。